令和の世にこそ憲法を日本人の手に取り戻そう
皇紀二六七九年/令和元年皐月(さつき・五月)四日
昨日は憲法記念日でしたので、日本国憲法についてあれこれと愚考してみましたよ。
まずはおさらい
現行の日本国憲法は大東亜戦争終結後、GHQの手により作成され、1946年(昭和21年)11月3日に公布、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行されたものですが、施行後、実に72年間もの間『アンタッチャブル(触れることのできない・批判できない)』な存在として扱われてきました。
この間にも世界ではさまざまな事件が起きていて、パッと思いつくだけでも
などが挙げられます。
時代と世界はめまぐるしい勢いで変化しているのです。国際情勢という一点だけを見ても、私は改憲な必要と思うのですが、そのための議論は遅々として進みません。
現行憲法の問題点
議論を阻害している主な要因は、護憲派と呼ばれる憲法9条を頑なに守ろうとする者たちにあります。彼らの言い分は『改憲どころか、それを議論することもまかりならん』というもので、これは民主主義の否定にほかなりません。
9条が謳う『平和』や『戦争の放棄』は耳触りこそ良いですが、見方を変えれば『国民を見殺しにする憲法』なのです。
その証拠に、終戦後に起きた韓国による国際法を無視した竹島の侵略。この時すでに9条は存在しましたが全く無力でした。
奪われた直接的な要因は、自衛隊が未だ組織されていなかったことが挙げられますが、仮に存在しても9条の縛りで手が出せたものか怪しいところです。結果的に竹島は奪われ、島民44名殺傷、3929名拉致、船舶328隻拿捕という惨劇を生み出しました。
無力どころか、憲法9条が島民を殺したのです。
また現行憲法が掲げる『専守防衛』には致命的な欠陥があります。それは『最初の一撃は甘んじて受けなければならない』ことです。
核兵器がそれほど普及しておらず通常兵器が主な武器であった時代なら、それでも被害は少なかったかもしれません。しかし、今や中堅国でさえ核兵器を持つ時代であり、弱小国も『貧者の核兵器』と呼ばれるBC兵器(生物化学兵器)を持つであろうと疑われる時代なのです。
こんな時代の一撃は、即ち『致命傷』です。
一撃を受けてからでは、全てが手遅れで無意味なものにになってしまうのですよ。
憲法に関する議論は外交や軍事に限った話ばかりではありませんが、それらに限っても上記のように大きな問題を抱える現行憲法であるにも関わらず、議論することさえ封じ込める国内の状況は異常という他ありません。
各国の憲法改正状況
72年も改憲せずに来た日本ですが、海外はどうでしょうか。
まず、同じ敗戦国であるドイツとイタリア、ついでに韓国も見てみましょう。
- 日本:0回
- ドイツ:51回
- イタリア:14回
- 韓国:9回
ドイツがずば抜けて多い他、韓国も二桁になろうという勢いです。
次に主だったところでは
- アメリカ:18回
- フランス:27回
- カナダ:19回
- メキシコ:175回
- スイス140回以上
といった状況で、メキシコとスイスが桁違いに多いですね。
このことからわかるのは、日本以外の国では改憲は特別なものではないということです。もちろん遊び半分でいじくり回して良いものではありませんが、時代の変化に対応するために適宜改正しない方が不自然であり不誠実ではないでしょうか。
改憲に向けて
戦後、日本を占領統治したGHQ総司令マッカーサー元帥は、後に日本の要人から現行憲法の状況を聞き、こう言って驚いたそうです。
『まだあの憲法を改正していなかったのか』
憲法とは宗教の経典ではありません。人がより良く生きるために作られた道具に過ぎないのです。憲法を必要以上に神聖視するのは、もう止めにしませんか。
平成から令和に世が移り、進まない国会での議論を尻目に、ネットでは改憲に関する様々な意見が交換されています。
あなたが改憲に賛成・反対にかかわらず、議論だけは進めるよう国会議員を促しましょうよ。その議員が民主主義の根幹である議論さえ否定するのであれば、そんな議員は不要です。